作り手のご紹介

篠島で生まれ育った仲間たちの
願いと想いがこの一粒に込められています。

「朋輩(ほうばい)」とは、篠島で昔から言われている「仲間」という意味です。

篠島で生まれ育ち、篠島の海と魚を愛する仲間が集まり、「篠島でしか育てることのできない生牡蠣を!」との熱い想いから誕生したのが「朋輩牡蠣」です。

手塩にかけて大切に育てた一粒一粒に、作り手の想いも添えています。

朋輩牡蠣
岡田光浩さん

えびや丸

岡田光浩さん

仲間がいるからチャレンジできる!

「仕事が大好き。それ以上に仲間が好きなんでしょうね。みんなで一緒に新しいことをやりたい!といつも言っていました」と語るのは、3隻のシラス引き漁船「えびや丸」で日々漁に出ている光浩さんの妻、裕佳さん。小学校6年生の長女、小夏さんを筆頭に、4人の娘たちは、毎日学校帰りに光浩さんのシラス荷上で、出荷や仕分けを手伝っている。光浩さんも篠島生まれ、篠島育ち。16歳から漁に出ている。「しらす漁の前日は、ドキドキして眠れないんです。20年以上ずっと変わらずで」と日に焼けた顔ではにかむ。

朋輩牡蠣-仲間がいるからチャレンジできる!

「朋輩牡蠣は、沖の荒波の中でもまれて美味しくなります。水がきれいだから雑味もありません。貝柱が驚くほど大きくなるのも、この荒波の中で鍛えられるからなんです」と朋輩牡蠣の魅力を熱く語る。その篠島でも、最近は代替わりの時期を迎えて、若い漁師が増えてきている。通常、水温が低く、魚の減る1〜3月は休漁となるが、牡蠣はこの時期に収穫・出荷することができる。漁師にとっては嬉しい商材だ。加えて、観光客をもてなす宿にとっても、冬の王者「ふぐ」とともに朋輩牡蠣は大きな魅力となる。

朋輩牡蠣-沖の荒波の中でもまれて美味しくなります

「辛いと思ったことや、落ち込んだことは、正直ないんですよ。いつも仲間と家族がいましたからね」と。大切な人たちと新たに立ち上げた朋輩牡蠣。光浩さんたちの手から、牡蠣をこよなく愛する食通の元へと届けられる。

朋輩牡蠣-光浩さん
天野 淳一さん

天野 淳一さん

6年間の努力と強い志が、今、実を結ぶ!

篠島生まれ、篠島育ち。中学を出てすぐ、漁師の父と共に海に出るようになるものの、23歳の時に父を亡くす。そこからがむしゃらに働いたと語る淳一さん。それでも漁師として働くことが辛いと思ったことは一度もないと。「子どもの頃に、かぶと虫を見つけて、捕まえた時のあのワクワク感と同じなんです。今でも毎日漁に出る前はワクワクしています」。

朋輩牡蠣-天野 淳一さん

そんな淳一さんが、幼い頃から共に過ごしてきた漁師仲間に声をかけ、6年前から牡蠣の養殖を始めた。「篠島の海は本当にきれい。
生活排水がないので水質もよく、牡蠣の養殖には最適なんです」。
こうして2020年の秋からは本格的に生食用牡蠣の販売を目指し、牡蠣そのものはもちろん、水質検査など、多岐にわたる検査を行い、ようやく市場デビューへと漕ぎ着けた。

朋輩牡蠣-天野 淳一さん

「何より海が好きで船が好きな人です。篠島のために、新しいことを考えて一生懸命に頑張る努力家ですね」と妻の恵里香さん。恵里香さんも生粋の篠島の人だ。念願の朋輩牡蠣デビューに喜ぶ淳一さんの側で、経理や出荷業務などでも淳一さんを一番近くで支えてきた恵里香さんの笑顔も眩しかった。

朋輩牡蠣-天野 淳一さんと恵里香さん
吉戸 雅志さん

吉戸 雅志さん

朋輩牡蠣が4人の絆を強くする!

篠島で代々漁師を営む家に生まれ、蒲郡の水産高校を卒業後、篠島に戻って船頭としてしらす漁に出る日々を送っている。「高校3年間は島を出て、それなりに楽しかったです。でも島に戻ってきた時、中学の時の仲間が迎えてくれて、やっぱりここが自分の居場所なんだなって」。篠島では、中学卒業時に仲のいい同級生らで「朋輩」という仲間を作り、その中の一人の家を「宿」と呼んで、その後も「宿」に集う風習があるという。「朋輩牡蠣」を作る4人は、年齢が異なるため、本来の「朋輩」ではないが、「仲間」という意味ではいいネーミングだと、雅志さんもお気に入りだ。

朋輩牡蠣-吉戸 雅志さん

養殖を始めた当初は、なかなか身が大きくならなかった。そんな時、4人でアイデアを出し合った。「普段は4人とも船頭として、ひとりで漁に出ます。ある意味ライバルなんですが、それぞれの経験から、あれこれ意見を出し合える。うまくいくこともあるし、失敗することもある。その過程でまた4人の絆が強くなったと思いますね」。

朋輩牡蠣-吉戸 雅志さん

今回、生牡蠣を販売するにあたって、水質調査などを行ったことで、あらためて篠島の海のきれいさに驚いたと語る雅志さん。昔からの友人らに朋輩牡蠣を食べてもらったら、これを食べたら他の牡蠣が食べられない!とまで言ってもらったことも自信になった。「まだまだ篠島って知名度が低いんですよ。朋輩牡蠣をきっかけに、全国の人に篠島を知ってもらって、来てもらえたら、こんなに嬉しいことはないですね。朋輩牡蠣も魚もマジで旨いです!後悔させませんよ!」。力強い言葉が返ってきた。

朋輩牡蠣
河合 将希さん

河合 将希さん

漁師は天職。今が人生で一番楽しい!

篠島小学校の部活で始めた野球。島を出て通った岡崎の高校でもピッチャーとして活躍した。卒業後は、豊田市内にある自動車関連工場でライン作業に就いた。「毎日同じ仕事でつまらなくて…」。2年で退職し、篠島に戻った。漁師だった祖父の後を継ぎたいと思った。「島が好き。漁師が好き。離れてみて島のよさがわかりました」としみじみと語る。叔父が大将を務める会社で漁師の修行を始めたのが20歳の時。4年経って、今年から自分の船を持たせてもらえるようになった。「今が本当に楽しい」と、スポーツで鍛えた大きな体とは似つかわしくない、愛らしい笑顔を見せた。

朋輩牡蠣-河合 将希さん

そんな将希さんに「朋輩牡蠣」を一緒に作らないかと声をかけたのは、岡田さんだった。岡田さんも天野さんも吉戸さんも、将希さんを子どもの頃から可愛がっていた。「漁師としても憧れの大先輩の3人と、新しいことができるなんて。本当に嬉しかったです」。とにかく一番早く動くことをモットーにしている。「少しでも他の3人に楽をさせること。それが一番若い自分の役目ですから」。「ショーキ!」と呼ばれ、こき使われつつも、愛されキャラとしての将希さんは、チームのムードメーカーだ。

朋輩牡蠣-河合 将希さん

3人と一緒にこうして朋輩牡蠣に携われるのは、篠島特有の、人の「縁」を大事にする風土があるからと将希さんは語る。そんな仲間と一緒に手がける朋輩牡蠣。夢は?「自分から何も言わなくても、岡崎や豊田にいる友人から『篠島で作っている朋輩牡蠣を食べてみたい!』と言われることですね。そんなこと言ってもらえたら、やりがいがあるってもんじゃないですか」。漁師という天職に就いた将希さんの夢が叶う日も、そう遠くはなさそうだ。

朋輩牡蠣-河合 将希さん
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